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六角柳


お正月飾りを「六角柳」でどうしてもしたくて

こもの花苑樣へ再度、取りに行つてきました。



當店は、12月31日、
本日から1月2日(月曜日)まで3日閒、お正月休みで

1月3日(火曜日)からオープンです

まんたいやの店は閉まつてゐましたが、
中で六角柳の飾り付けを一人でやつてゐました。



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↑壺と靑竹の口徑が合はなかつたので
急遽、藏戶の場所に變更しました
(靑竹はワイヤーで留めてあります)



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↑後日、佐々木直喜先生に竹の根元の口徑を削つて頂き、
壺に入るやうに調整しました。















by mantaiya | 2016-12-31 19:57 | Comments(0)

酉(嵯峨面)

嵯峨面


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酉(とり)


















by mantaiya | 2016-12-30 09:45 | アクセサリー | Comments(0)

栗﨑 曻流の正月飾り(平成29年度)

今年も栗﨑 曻流の正月飾りにチャレンジしました
昨日に完成したのですが、納得がいかず
早朝より再度、挑戰いたしました。
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↑去年とは「ちょろけん」が違つてゐます。
サイズも大→小に
ミカンを無くし、より栗﨑 曻先生の形に近づけました。
(上の〆繩を省略すべきか惱んでゐます)


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〆繩を省略した畫像です。














by mantaiya | 2016-12-29 09:26 | | Comments(0)

南天の実と紅白の水引で


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こもの花苑さんにお願ひした南天の實が一箱(5kg)屆いた
いつも良心的なお値段にしていただき、感謝してゐます

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紅白の水引も準備した


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栗﨑 曻先生の京都は
「飾花インターナショナル」
といふお花敎室で使ふ花器
とても高價な物ですが、
思ひ切つて購入して良かつた
















by mantaiya | 2016-12-28 17:54 | Comments(0)

今年の門松

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看板の足元にも近所の阿部久すだれ店の親父さんに
作つてゐただいた靑竹の結界
栗崎流の門松でお出迎へ
凛とした佇まひを感じていただけたら成功です















by mantaiya | 2016-12-28 09:52 | Comments(0)

當店のちょろけん

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↑とつても可愛く
日本の傳統を引き繼ぐことで
神聖な氣持になる





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チェッカーベリー
(ゴールテリア)


こもの花苑さまの正月飾りは素敵で
佐々木直喜先生の多彩な才能を
改めて感じました

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by mantaiya | 2016-12-27 13:39 | Comments(0)

活版印刷の魅力



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戰前の舊漢字・舊假名遣ひの魅力にハマつてゐる私にとつて、コレクトしている古書にも使はれてゐることもあり、活版印刷の味は素敵です!




















by mantaiya | 2016-12-21 15:10 | Comments(0)

結び柳

唐の都・長安の城門を出て、西を目指して半日の行程に黃河(こうが)に注ぐ渭水(いすい)の流れがあります。往昔とおくシルクロードを旅する人をこの川端まで送つて別れを惜しみ、送別の宴をもうけるのが常でした。
この時の膳の上に川端の柳の枝をとつて結んだものを添へて置くと、その旅人はまた戾つてくると信じられ、今もなほ川端には結ばれた柳を見ます。
旅人は川を渡つて遙か西に向つて去つて行きます。また戾つてくるといふ願ひを込めて柳を結んだその先人達の心をとり入れ、また戾つてきた今年の正月を祝って床に結柳をして祝ふ暮らしは、今なほ聯綿と茶の湯の中に受け繼がれてゐます。



•下記の圖、柳掛けを掛ける爲の釘で、天井廻緣下端より9寸~1尺のところ




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by mantaiya | 2016-12-18 05:43 | Comments(0)

古文の読解:小西甚一著

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大學受驗の宿泊先が相部屋で5人ほどが一緖だつた。

夕食も終はり、いままでの受驗勉强を報告することになつた

京大經濟學部を一浪で受驗する相部屋の方は
やさしい方の「古文の讀解」をボロボロになるまで
繰り返した本を見せてくれた。
時すでに遲しであつたが
受驗のコツを敎へて貰つた氣がした

いまは「ちくま學藝文庫」から再販されてゐるが、
サイズが小さ過ぎるので買つてはダメだ

Amazonより

トップカスタマーレビュー

投稿者 投稿日 2010/12/19
形式: 文庫
 レビューを書いている多くの方々と同様、私も高校生のときに原本を購入しました。
語りかけるような説明、若い人に期待する熱意など、強烈な印象を受け、いまも大事にしています。
今回、ちくま学芸文庫から復刊されたことを非常に喜んでいます。

小西甚一氏が、偉大な学者であることを知ったのは、だいぶ後になってからでした。

ドナルド・キーン氏が「日本文学史 (中央公論社)」を著しているとき、小西先生が、日本人には、細かい専門分野に特化した学者はいるが、通史を書ける人がいないのか、と嘆き、自らが「日本文藝史」を著したという話は、特に感銘を受けました。
(小西甚一著 日本文学史:講談社学術文庫 のあとがき 及び 同書のドナルト・キーン氏の解説 に この模様が書いてあります。とても興味深いものです)

「太っ腹文法、用心文法」などの くだけた章立てからなり、まるで先生に直接教えてもらっているようでした。 
また、「一を聴いて十を知る」とはこの本のことか、と思いました。
今、原本を見返して見ると、初版は昭和37年で、当時、著者は、昭和15年に東京文理大学(東京教育大学)を卒業し、昭和26年に学士院賞を受賞した少壮の学者だったのですね。
小西先生が、受験参考書に これほどの情熱を示してくれたことに感謝しています。 

 この文庫本では、「はしがき」が初版のものではないのが残念です。
以下に引用しますので、是非、読んでください。 時代を感じますが、著者の情熱 が感じられます。

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はしがき(初版) (注:漢字、仮名遣いは原文のままです。)

 「どうも古文は不得手で」 とか 「古文は好きになれない」 というお方が少なくないだろう。
この本は、 そんな人たちのために書かれたものである。
「古文ぐらい、何でもありません」 という秀才とか 「将来は国文学者を志望します」 などという変わり者とかは、
この本を必要としないだろう。

 なぜそのような本を書いたのか。  将来の日本を考えるからである。
しばらくアメリカに住んで、つくづく感じさせられたのは、日本がどんなに天然資源がとぼしいかであった
まったく、お話にならないほどの差なのである。
この貧弱きわまる天然資源で一億の日本人が人なみの生活をしていくためには、 どうしても原料を輸入し、
製品を輸出するほかにない。ぜったいそれ以外にはない。
ということは、 工業がわたくしたちの生活を支える屋台骨だという事実を意味する
だから、 これからの若い優秀なひとたちは、 どしどし理科・工科の方面に進出してくれなくてはこまる
そちらに向くすぐれた人材が出なくなった時は、 すなわち日本が衰亡への途をふみ出した時である。

 理科・工科むきの勉強に主力を傾けなくてはならない多くの青年たちに、 しかし、 わたくしたち教師は、
古文をどう教えたらよいだろうか。 
国文学者のタマゴたち相手なら、 むしろ楽だと思う。 
わたくしたちのタマゴ時代に受けたとおり厳格な専門的訓練をあたえればよいのだから――。
だが、 理学士 や 工学士、 あるいはそのよき協力者となるはずの 経済学士 や 法学士 をめざす人たちに、
どんな事を教えたらよいか。
わたくしたちは、 自分がクロウトであることをつい忘れ、 「これぐらい、知っているのは当然だ」 と考えやすい。 
しかし、 それは狭い縄ばりにたてこもる学者根性というものだろう。 
高校生諸君は、 数学も、 理科も、 社会科も、 外国語も・・・やることはいくらでもある。 
そこへ、 それぞれの専門の先生がたが 「これぐらいの事は・・・」 と主張されたら、
たまったものではない。

 だから、この本に書いてあることは、 試験の場合でいえば、 満点をとる方法ではない。
わたくしが力説したのは、 合格点を取る要領なのである。 
よく考えてみたまえ、 満点なんて、 取ってみたところで、 使い途のないものだ。
合格さえすれば点数はどうでもよろしい
点数なんかにビクビクしているようでは、 とても日本を背おう人材にはなれない。 
が、 合格しなくては、これはこまる。 
そこで、合格するだけの点数は確保する――というのがわたくしのねらいなのである。

 といって、 何も大学入試だけを頭においてこの本を書いたわけではない。
ほんとうは、 えらい人物になってもらうため、 どうしても古文の教養を身につけてほしいからである
諸君がまだ下っ端の間は、 たいして古文の必要なんか感じないかもしれない。
しかし、 重要なポストについて全人間的な活動をするであろう時、 特に海外でしごとをする際など、
古文の教養がどれだけ諸君を助けてくれるか

いまは想像もできまい
が、やがては身にしみてわかる時が来るはず
だから、 諸君がいまいちばん関心をもっておいでだろう入試という現実を通じて、 古文の世界への道路工事を
しっかりやっておきたい。
それが、 わたくしの願いなのである。
この道を、 諸君の高級車が、 いつかは快適にすべってゆくことであろう、 その日を期待する。
1962年5月 著者
(5)



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わたしはZ會ご推薦の同じ著者で難しい方の

「古文硏究法」を購入したが

分不相應で數ページで挫折した

Amazonでも購入できるが

表紙がペーパーバックになつてゐるので

洛陽社から直接購入すると

當時のハードカバーで手に入る



以下もAmazonのカスタマー・レビューから


形式: 単行本
 初版昭和30年、改訂版昭和40年と古書の部類に属するが、今も書店に並んでいるヴィンテージ参考書である。著作目的は大学受験対策であり、本来は高校生、受験生向けに「これだけの問題をじっくり解いてゆけば、実力は充分につくはずである(p1)」として書かれたものである。「じっくり」と書かれているように、飛ばし読みせずゆっくりとテンポを合わせて読むことを勧めている(p2)。

 内容は大学受験レベルを越え、一般人への古典文学入門にも充分な内容を含む。えらい先生が大学院生に命じてすでに出ている参考書を適当に抜粋させて、自らは著者として名前だけを貸しているような参考書の多いことを嘆き(p2-3)、おそらく、それに対する義憤から、日本学士院賞を獲得し、すでにトップクラスの研究者であった著者が、高校生レベルに降りて、専門的な知識を種々提供しながら解説を展開していく。第一線の学者が受験参考書を著作するというのは現在までの歴史でも珍しいことと思うが、まだ40歳代の新進気鋭の学者の意気盛んな学問への熱意が至る所にこめられている。初版出版時には同種の古文参考書がなく、その後本書をまねた参考書が多く出て来たという(p4)。

 本書の構成は、語学的理解、精神的理解、歴史的理解の3部構成で、その各々は、例文をまじえた文法や基本事項などの解説のあと、例題、解説、脚注と並ぶ。おそらくはその頃の英文解釈参考書を参考にされたのではないだろうか。

 現在では難解と評されやすいが、それ以前の古文参考書として入手可能なものとして、塚本哲三著「国文解釈法」(有朋堂書店、大正5年)と比べれば、本書は格段にわかりやすい。当時としてはかんで含むような丁寧でわかりやすい解説であったと思われる。「国文解釈法」は、総論的解説の総論編のあと、単語ごとの例文と通釈、参考事項の解説と並ぶ解釈編、文法事項を一通り説明した文法編で構成されている。これと比較すると、語学的理解、精神的理解、歴史的理解の3部構成が本書の特徴的な構成であることがわかる。

 特筆すべきはその内容の高度さ、深遠さであろう。現在出版されている参考書はおそらく国文科の修士から博士卒業レベルの書き手(主に予備校講師)によるものだろう。言うなれば、その差は修士〜博士学生のレポートと教授が書かれた優れた総説論文くらいのものである。当時として新しい学説やあまりにも深い古典や文学、歴史への教養が散りばめられている。例題61(p151)では、池田亀鑑博士、田中重太郎博士といった時代の先端をいく学者の説を選択肢とし、正誤を解説している。このような芸当は凡庸な著者や昨今の参考書書き手の主流をなす方々にはなかなかできにくいことであろう。

 一方で、確かに内容面での充実は言うまでもないが、受験生向けへの親切さは残念ながら、現在出ている参考書には劣る。それは以下の点においてである。

1) 意訳が美しすぎて受験生にはまねできないばかりか、本文との関連を読者自身で考えなければならない。

2) 後で出てくる内容が先の部分に設問として出てくる、すなわち、学校レベルの古典文法や古文知識はひととおりあることが前提になっている(p122では「助動詞とは何か」について説明が必要な学生は本書を読むことを諦めて頂きたい、と述べられている。実はもっと高度なレベルの学力がないとなかなか読みこなせないと思うが。)。

3) 設問への解説が非常に簡単か、もしくは、ほとんどないものもある。著者は、本書では「平凡な古文研究の常識をひとわたり説明するだけである(p12)」と言うが、前述のように高校生もしくは一般人にとって平凡な常識レベルではない。「ひとわたり」の知識と実力は読む前に求められている。

 ラジオ講座は担当されていたものの、塾や予備校で直接受験生を教える機会はなかったであろう著者の限界がこのあたりに垣間見える。確かにある分野の専門家が専門的内容を一般向けに説明する場合、どのレベルまで降りて説明するかは難しい。専門家の観点で面白いと思って解説しても、その面白さが伝わる以前に難しくてどうしても理解してもらえなかったり、相手がわかっていない初歩的な事柄や用語などをわかっているものとして、つい説明せずに飛ばしてしまったりしがちなのである。現在の多くの参考書は受験指導の現場にいる著者によるものが多く、一般受験生がどのような理解力を持って講義を聴いているか、どの部分でつまずきやすいかを把握しているという点でのアドバンテージは大きく、その点で本書が受験生には勧められないという意見があることにも一理ある。

 それでもそのことで本書の価値が下がるとはどうしても思えない。この参考書が出版された頃は、まだ大学進学率は約30%であり、大学全入時代と言われる現在とは、受験生全体のレベルが違いすぎるのである。このことから、現在の価値基準で本書を低評価することは憚れる。80年代には、古文ではこの参考書が唯一絶対かつ必須であると長く語られていた。今になって読み返すと確かにその素晴らしい内容に目を見開かれる思いがする受験生当時は、通釈が後ろについていることに気づかず、30頁ほどで何が何やらわからず、挫折してしまった。結果、文系進学を諦め、理系へ転向した恨みがあったが、「じっくり」読めば何と豊潤な著作であるのかと感嘆する。

 受験参考書として書かれた以上、その役割での評価をすれば、すでに一通りの古典文法をマスターし、だいたいの古文解釈をこなせるという受験生には、最高の参考書であり、著者が「おわりに(p427-428)」で述べているように大学受験をはるかに越え、自国の古典への正しい理解へ導かれている自分に気づくことだろう。また多くの評者が述べておられるように本書が一生の宝物になるだろう。しかしながら、まだ古典文法がマスターできていない学生、ほとんど初歩から古文を学習しようという学生にはお勧めはしない。




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息子たちには自分の苦い經驗を生かして
學硏の「マドンナ古文」を勸めた

















by mantaiya | 2016-12-15 08:54 | | Comments(0)

POD

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5つ星のうち 5.0珠玉の辭典
投稿者 英語靑年 投稿日 2010/6/11
Amazonで購入
POD史上最高と謳はれる第5版。その小さな版型に比して實に豐かな情報を提供してくれる。執筆者の魂が込められた語釋・用例から成る稀有の辭典と言へよう。POD第5版、COD第5版熟語本位英和中辭典(齋藤秀三郞著)などのやうな滋味掬すべき、「非科學的」な昔の辭書と、コンピュータによるコーパス分析に基づく昨今の「科學的」な辭書とを比較するにつけ、「最新が必ずしも最良ではない」といふことや、「科學主義の不毛」を思ひ知らされる。成程、實際の用法・用例を豐富なデータに基づいて提示してゐるといふ意味において、實用性は今日の辭典の方が高いと言へるかもしれない。だが、畢竟現代の辭書の特色はそれだけではなからうか(勿論例外はあるにせよ)。科學的手法を盲信し、言葉を愛でることを忘れた執筆者の手に成る、ある意味で瘦せこけた辭書の氾濫する時代だからこそ、POD第5版の價値はますます高まるやうに思はれる。




Amazonの書評に素晴らしい內容のコメントがありましたので、揭載させてもらつた。この投稿者と同じ意見です。私は米國のウェブスターには辭書作りの傳統が感じられず、嫌ひである。しかし、私の學力ではCODもPODも無理!! A.S Hornby等の初心者向けが適してゐると思ふ。卒業袴を見に來ていただいた英文科の子はCODを使つて卒論を書くと聞いて、その學力に唖然としました。頑張つて頂きたいですね。












by mantaiya | 2016-12-13 06:28 | | Comments(0)