人気ブログランキング |

カテゴリ:本( 33 )

花の誘惑

d0335577_08403936.jpg

1989年6月1日発売
BRUTUS
「花の誘惑」






この雑誌に掲載された
栗崎昇先生のコメントをご紹介しよう


花とはまったく淫蕩な生き物です。そして、不気味で怖い。怖いからこそ、わたしは花をいじられるし、活けられるといってもいいでしょう。美しさとは本来そういうものだと思うのです。例えば、ランの花弁に指を突っ込むと、思わず食いつかれそうな錯覚に陥ってしまいます。それでも指を入れずにはいられない衝動。実際わたしはこの怖さによって、官能を刺激され、思わず手掴みしたいという衝動に駆られながら、ほんとのところは花との睦言に生きているのかもしれません。ところが、花ほど難しいものはないんですね。花はとても自己主張が激しいんです。とり澄ましたもの、凛としたもの、げびたもの。同じ花でも一本一本違います。花を活けることとは、そんな花を調教し、表情を操ることだと思うんです。それは花に対する博愛がなければできないことなんです。女性は花に対して残酷ですね。美しいものに嫉妬してしまうんでしょうか。切り花を観ることは、やがて死にゆくものの姿を見つめることですから、真剣に見守ってあげたいと思っております。 (花師)















by mantaiya | 2019-08-13 06:59 | | Comments(0)

言海

永井荷風曰く、
「小說家になりたかつたら大學に行く必要はない。
言海と森鷗外の小說を1日1頁、讀めば良い」



d0335577_18023865.jpg

↑こんなに程度が良いのはありえない



d0335577_18025413.jpg


復刻版がちくま學藝文庫から出てゐるが、買つてはいけない。
字が小さく舊假名遣ひが讀みづらい↓

d0335577_22412199.jpg


↑活字が小さすぎて・・買つてはいけない

原書を縮小コピーして

ペーストしただけのなんら努力もなしで

仕上げた本には感動はない

筑摩書房にはサイズも紙質も

當時の儘にすることが復刻版であるといふ

認識がないのは殘念である



古書で探すしかないが、中型本が精々で
大型本は、ほとんど手に入れることは出來ない。
マニアがゐるやうだ。





WEB 言海
http://www.babelbible.net/genkai/genkai.cgi
↑變體假名に違和感なく付いていけるか
それがカギ・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Amazonのカスタマー・レビューから



2004年5月13日

書店で見つけて驚いた。

言海は芥川が遊んだことで有名な辞書である。

開高健も大いに愛読した

大言海になってだめになったとも書いている。

本書の貴重な解説にも大言海は別物としている。

はっきり言って実用には何の役にも立たない辞書である。

だが読んで楽しく遊べる辞書が他にあるだろうか。

昨今、類語辞典などが読んで楽しいとうたっているが

ちゃんちゃらおかしい。

言海の深さを知らないのである。

本書は小型版の復刻。

それゆえ文字の小ささ擦れはいたしかたないだろう。

解説が勉強になる。

読んでオリジナルが欲しくなった。

神田の古書店で中形を見つけた。

いや、探し当てた。

昭和5年発行、551版と奥付にある。

店主によれば昭和30年まで発行されたそうだ。

その数、1000版。

大形を千版すべて蒐集しているコレクターがいるそうだ。

だから価格が大形だけ別格なのだ。

この辞書には日本語の何というか本質のようなものを感じる。

江戸語から日本語に変わった節目のようなものを感じるのだ。

実用を求めるなら電子辞書の広辞苑でいいだろう。

この文庫から言海が見直され大形が復刻されないものだろうか。


文字の大きさはやはり大形が見やすくていい。

ちくま学芸文庫はニッチな企画を通してくる。

いい文庫だ。

139人のお客様がこれが役に立ったと考えています

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2018年1月23日
形式: 文庫Amazonで購入

『言海』は、欧米流の文法理論に基づき、言葉の発音・品詞・語源・語釈・出典の5点を明らかにする趣旨で、国語学者・大槻文彦がほとんど独力で完成させた初めての近代的国語辞典として名高いが、現代の国語辞典の常識からするとかなり戸惑う点がある。


①『言海』は、言葉を「いろは」順ではなく、五十音順に配列しているが、現在の「い」で始まる語は、ア行の「い」とワ行の「ゐ」に分けて表記されており、同様に、「え」で始まる語は、ア行の「え」とワ行の「ゑ」に分けて表記されている。つまり、『言海』は、古語辞典と同じように歴史的仮名遣で配列されており、「井戸」ならワ行の「ゐど」で、「笑顔」ならワ行の「ゑがほ」で引く必要がある。当然、ハ行にも注意が必要で、「家」は「いへ」で引くことになる。


②『言海』が出版された明治19年(1886年)当時は、平仮名の字体がまだ統一されておらず、さまざまな変体仮名が使用されていた時代だった。『言海』の場合は、「こ」には「古」を崩した変体仮名「し」には「志」を崩した変体仮名が使用されていて、「に」には「尓」の変体仮名もよく使用されている。また、本文のほとんどのページで、「こと()」の代わりに合略仮名の「」が使用されている。つまり、『言海』の歴史的仮名遣は、現代の一般的な歴史的仮名遣とは異なっている。


③使用される漢字はすべて旧字なので、「五十音図」が「五十音圖」、「体言」が「體言」、「発声」が「發聲」と表記されるなど、旧字を知らないと、まったく別の漢字かと誤解しかねないし、まず文章がきちんと読めない。


④本文庫は、縮刷版『言海』を写真で撮って製版したもの。原本には印字が鮮明な『言海』を選んだとのことだが、原本と同サイズという活字が異常に小さく、しかもカスレている。濁点は潰れていたり、その有無が見分けにくい。とにかく、虫眼鏡が必要なくらい活字が読みにくい。


以上のことを考慮すると、本書を購入する際は、なるべく書店で現物を確かめることをお勧めする。本書は歴史的書物の復刻版なので、明治時代の活版印刷に慣れていないと、相当のストレスが予想される。内容的にも、あの「新解さん」のような面白さを期待すると、おそらくアテが外れる。ようするに、だれもが気軽に読めて、面白い書物ではない。では、そういうレビュアーは本音でどう思っているのかと問われれば、語源に関心を持つ者にとって『言海』は必読書なので、語源マニアの端くれとして、②と④が気にならないことはないが、本書を愛用し続けるだろうと思う。いやそういう前に、まず、この仰天するようなボリュームを見ただけで、大槻先生、凄まじい方だなあ、と心から恐れ入ってしまう。


36人のお客様がこれが役に立ったと考えています
















by mantaiya | 2019-08-02 06:21 | | Comments(0)

homeostasis(ホメオスタシス)




『糖質制限・糖質ゼロのレシピ集』(釜池豊秋著)

d0335577_14415926.jpeg

(p.116)


「ケトーシス」と「アシドーシス」

 ケトン体が「異常に」増加すると「ケトーシス」と呼びます。「acidosis(アシドーシス)」は、血液中の酸とアルカリの平衡が破れて、血漿(けっしょう)が酸性に傾くことです。ケトン体は「酸性」なので、ケトン体が増加すれば血液が酸性化する、すなわち「ケトーシス」では「アシドーシス」になる、というのが日本糖尿病学会の見解です。また、その典型が「ケトアシドーシス昏睡」だというわけです。
 糖質ゼロ食では血中ケトン体が「異常に」増加します。しかし、「アシドーシス」にはなりません。なぜなら、酸、塩基平衡は生命維持に基本的なホメオスタシスです。ケトアシドーシス昏睡にみられる、高血糖による「高浸透圧利尿」が「腎性代謝」を阻害しない限り、「ケトーシス」でも「アシドーシス」にはなりません。高血糖にならない糖質ゼロ食では、「アシドーシス」にはならないのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ケトン体は酸性なのでケトン体が増加すれば酸性化する
・・・すなわち「アシドーシス」になるというのが
日本糖尿病学会の見解だ。

しかし、実際は「糖質ゼロ食」では
ケトン体が増加してもアシドーシスにはならない。

homeostasis(ホメオスタシス)が働くからだ。


釜池豊秋医師の講演

https://www.youtube.com/watch?v=tJksEMhuLZk





(私の見解)

常識を疑ふ・・
それが大切だ












by mantaiya | 2019-07-04 18:08 | | Comments(0)

古今和歌集全評釈   片桐 洋一


d0335577_08033433.jpg

d0335577_08032397.jpg

d0335577_08042279.jpg
三島由紀夫の「古典文學讀本」を讀んでから
「古今集」を讀んでみたくなりました

社會人になり、
一流の華道家のお花を學ぶうちに
最後は「能」・「生け花」・「萬葉集」・
「古今集」・「書」・「お茶」・・
といふものに興味が出てくるのですね


實は假名の練習に選んだ「高野切」が
「古今集」を書寫したものなんです!

だから「高野切」を假名の手本として練習することは
「古今集」の原文を書寫することになるのです

とても有り難い發見でした



d0335577_07384126.jpeg
年の内に春は来にけり ひと
と勢(せ)を  こ曽(ぞ)とやいはむ ことしとやいは無(む)

↑東(と)しのうち尓(に)はる盤(は)支(き)尓(に)介(け)利(り)ひと
・・・・・・・・

者(は)るの多(た)ち介(け)る ひ よめる

支(き)の徒(つ)らゆき

d0335577_15322217.jpg
(支→き)



d0335577_15330316.jpg
(徒→つ)



d0335577_15334388.jpg
(尓→に)









岩波文庫の「古今和歌集」(佐伯 梅友:校註)は良くなかつた。
片桐洋一先生が良いと思ふ


單行本はプレミアが附いて古本でも
10万円もします!
活字が特に小さい文庫本ではなくて
Kindle版が字が大きくなるのでオススメ

d0335577_17061070.png

↑三島由紀夫も「古典文學讀本」でも述べてゐたが
著名な文人が言つたことだからといふ先入觀を捨てて
讀むべきだと書いてゐた事が
上記の正岡子規の評論のことを指すと思ふ
8行目:正岡子規が
「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」
 『再び歌よみに与ふる書』と喝破したのは有名だが・・

私も正岡子規の言葉に惑はされて
「古今集」を敬遠した一人である








by mantaiya | 2019-04-02 08:04 | | Comments(0)

古典文学読本 (三島由紀夫)

d0335577_21491522.jpg

 私は一度も人に强ひられて日本古典文學の勉强をしたことはない。むしろ私が古い日本語の美しさに目ざめたのは、中學一年生のころ祖母にはじめて歌舞伎へ連れて行かれ、同じころ母方の祖母に能見物に連れて行かれたところに發してゐるやうに思ふ。歌舞伎は「忠臣藏」であり、能は「三輪」であつた。そしてその二つともに私は直ちに魅了され、少しの退屈も感じないのみか、以後折あるごとに兩祖母や母にねだつて、劇場へ連れて行つてもらふやうになつた。

 古い日本語がなめらかに耳にはいり、少年の感受性に「言葉の優雅」といふものを强く刻印したのは、劇場と俳優の力であつたと思ふ。しかし私が文學としての淨瑠璃や能に親しみはじめたのはずつとあとのことだ。
 何か趣味的に擬古典主義といふものが、私の中に育つてゆく素地が養はれたのは、一つはかういふ劇場の力、一つには谷崎潤一郞氏の中期以後の作品の魅力のおかげであつた。谷崎氏の作品を通じ、またその「文章讀本」を通じて、私は日本古典に對する好奇の目をひらかされて行つたのである。

わが古典---古典を讀む人々へ

 古典と云ふと、萬葉集、源氏物語、近松、西鶴と云ふばかりが能ではあるまい。自分で讀んで、自分の好みの古典を見つけるべきである。國語學者の常識的解釋などにたよつて古典を評價しないこと。
 私の好みからいうと、古今集がまず面白い。古今集の美學は、本當の意味で古典的なものである。情緒的でなく知的であり、均整美に集中され、新古今集のやうなデカダンスがない。平安朝文學では、もう一つ、大鏡をあげておく。線の太い文體で、引きしまつてゐて、何度讀んでも含蓄がある。


最近、松村剛氏が淺野晃氏の「天と海」を論ずる文章を書くに當つて、私にかう問うたことがある。大東亞戰爭末期につひに神風が吹かなかつたと云ふこと、情念が天を動かしえなかつたと云ふことは、詩にとつて大きな問題だが、さう云ふ考への根源はどこにあるのだらうか、と。
私は直ちに答へて言つた。これは古今集紀貫之の序の「力をも入れずして天地を動かし」だ、と。
私は直ちに答へた。どうして直ちに答へることができたか。ここに私と古今集との二十年以上の結縁(けちえん)があるのだと思ふ。
二十年の歳月は、私に直ちにさう答へさせたほどに、行動の理念と詩の理念を縫合させてゐたのだつた。
もし當時を綿密にふり返つてみれば、私は決してさうは答へなかつただらう。なぜなら古今集のその一句は、少年の私の中では、行動の世界に對する明白な對抗原理として捕へられてゐたはずであり、特攻隊の攻擊によつて神風が吹くであらうといふ翹望(ぎょうぼう)と、「力をも入れずして天地を動かし」といふ宣言とは、正に反對のものを意味してゐたはずだからである。正確に想起すれば、十七、八歲の私の中で、「力をも入れずして天地を動かし」といふ一句は、ただちに明月記の「紅旗征戎(こうきせいじゅう)は吾事に非ず」といふ一句につながつてゐたのである。
 ではなぜ、このやうな縫合が行はれ、正反對のものが一つの觀念に融合し、ああして私の口から自明の卽答が出て來たのであらう。
 いふまでもなく、それは、つひに神風が吹かなかつたからである。人閒の至純の魂が、およそ人閒として考へられるかぎりの至上の行動の精華を示したのにもかかはらず、神風は吹かなかつたからである。
 それなら、行動と言葉とは、つひに同じことだつたのではないか。力をつくして天地を動かせなかつたのなら、天地を動かすといふ譬喩的表現の究極的形式としては、「力をも入れずして天地を動かし」といふ詩の宣言のはうが、むしろその源泉をなしてゐるのではないか。
 このときから私の心の中で、特攻隊は一篇の詩と化した。それはもつとも淸冽(せいれつ)な詩ではあるが、行動ではなくて言葉になつたのだ。




三島由紀夫著「古典文學讀本」






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【店主の感想】

私も三島由紀夫氏のやうに大學時代に谷崎潤一郞の「文章讀本」を舊漢字・舊假名遣ひの復刻版で讀んでからその魅力にハマり、今でも拔け出せなくなつてゐる。



















by mantaiya | 2019-03-30 21:49 | | Comments(0)

「花と器」 (川瀬敏郎)

d0335577_11522124.jpeg

川瀨敏郞の本


お茶を學び

古典文學の素養がこの方の生け花には

垣閒見られる

それを

自分は求めてゐると氣づきました


素晴らしい內容の本です






























by mantaiya | 2019-03-22 11:56 | | Comments(0)

白洲正子の世界

d0335577_09180680.jpg
↑この方の感覺に近いものを
目指してゐるやうな氣がする

d0335577_09192031.jpg
↑同じやうな調度品をディスプレイしてゐる氣がする
似てくるんですね






























by mantaiya | 2019-03-22 09:18 | | Comments(0)

『茶の本』(岡倉 覺三)




d0335577_11310655.jpg
d0335577_11314074.jpg

★昭和13年5月1日(第14刷)発行の戦前版です。
現在の岩波文庫のサイズより縦が約1㎝大きいです。
★経年による日焼けはありますが、書込み・蔵書印はありません。
★入手困難な稀少品と思われますので、是非この機会にお求めください。

★あくまでも古書となりますので細かい擦れや汚れなどを気にされる方のご入札はご遠慮下さい。

----------------------------------------------------------------------------------------


【店主のコメント】


原書は英語で日本人が書いた最も美しい英文の一つと言はれてゐます。


この本も大學時代には讀んだが、もう忘れたので戰前の古書で再讀してみたい。



















by mantaiya | 2019-02-23 11:33 | | Comments(0)

『花傳書』岩波文庫(初版)

d0335577_09421717.jpg

d0335577_09423135.jpg


★昭和2年11月5日(第1刷)発行の戦前版の初版本です。
現在の岩波文庫のサイズより縦が約1㎝大きいです。
★経年による日焼けがあります。書込み・蔵書印はありません。
★入手困難な稀少品と思われますので、是非この機会にお求めください。
★あくまでも古書となりますので細かい擦れや汚れなどを気にされる方のご入札はご遠慮下さい。
------------------------------------------------------------------------------------------

【店主のコメント】


一からお花の勉强をしたくて

戰前の岩波文庫を手に入れた


お花の容ではなく、

ご存知のやうに能の理論書であるが

この時代にわび・さび侘・寂)といふ

感性が確立したと思ふ

生け花もこの時に完成したと

思つてゐる


舊漢字・舊假名遣ひで


書體が右から左に印刷されてゐる


これが良い



能=花=書



正漢字  內

当用漢字  


↑漢字もよく観察すると「本物」と

戦後のマッカーサーが命令した
「当用漢字」では形が違ふ


米国人には同じやうに見えるが、

「入」と「人」では全く意味が異なる。


歷史敎科書を始め

小學校で刷り込まれたものを鵜呑みにして

本當だと思ふことは危險である



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ある方のBlogより



今回は「 人 」と似ている 「 入 」とそれに関連する「 内 」を紹介します。

※漢字の成り立ちには諸説あります。
※漢字の説明は、上下左右にわけて説明することがほとんどです。
  わかりにくかったらすみません。画像は私が書いたものです。下手ですみません。


入  「 入 」
これは家の入り口を表しています。

昔の家の入り口はこういう形だったということですね。


内  「 内 」
外側は「 家 」を現しています。
内側は「 入 」となっています。
「 内 」の主な意味は内側に入るで、納めるという意味もあります。

日本の漢字は
内の中は「人」って
書きますけど、
本当は違うんです。
私は留学中によく人って書いて注意されました
こうみるとやっぱりきちんと意味があって作られたんだなぁってわかりますね。




https://ameblo.jp/lingxue23/entry-12043428126.html



War Guilt Information Program
https://upanishad.exblog.jp/25349985/













by mantaiya | 2019-02-23 09:45 | | Comments(0)

齋藤秀三郎『齋藤和英大辭典』(1928再版、日英社)

d0335577_08443712.jpg


私の所有する
齋藤和英大辭典(日英社)



d0335577_08101130.jpg
俗に枕本と云はれるとてつもなく分厚い


d0335577_08122110.jpg
↑特別に作られた復刻本
これも所有してゐる


このやうな名著が舊漢字・舊假名づかひで書かれてゐる
と云ふ理由で絶版になつてしまつた。
米國の犯した焚書の罪は深い

https://upanishad.exblog.jp/24945142/





狂気と知性の境目はどのあたりにあるのだろう。

こうした仕事を目の当たりにするとボーダーラインがぼやけてくるのが分かる。

齋藤秀三郎『斎藤和英大辞典』(1928再版、日英社)を手に取る。

個人名を冠した辞書は世に少ない。

斎藤は4,640頁を独力で書き切った。

本全体からいまだにオーラが放たれている。

力強いPreface(序文)。

ランダムに開いた頁を読む。

使いようによって現代でも役立つことに驚く。

いや、役立つなどという言葉が不遜な気がする。

アインシュタイン、ガンジー、手塚治らを起用したAppleのキャンペーン、

"Think Different" (誰にも真似できない思考)の人がここにも確かにいる。

僕たちは日々の情報の量とスピードに飼い慣らされすぎて、

足元に眠る宝物を掘り尽くし活用することを忘れている。

名著普及会が1979年に縮尺版1,160頁で本書を復刻。

幻の書を絶滅させない関係者の努力には無論最大の敬意を払う。

この復刻版なら手が届きそうな価格の古書も見つかる。

が、オリジナルの持つ魔力。

なぜ、こんな厚さの、経典のような和英辞典が必要だったのか。

斎藤は序文にその理由を英文でしたためている。

英和辞典とは異なり、和英には無限の可能性があるため、

この大辞典でも決して終わりではないと斎藤は断言している。

狂気と知性が同時に存在し、

手にする者にいまもメッセージを放つ。

生半可な気持ちで手にすれば斎藤の熱で火傷しそうだ。

1928年は昭和3年。

父が生まれた年だ。生きていれば、88歳だった。

この辞書は1928年6月10日に発行された。

僕が手にしているのは6月20日再版の一冊。

出版後、わずか10日で再版している。

岩波が新仮名遣いで10月に復刊した

斎藤の「熟語本位英和辞典」が初版2,500部。

発売日に1,000増刷したのが「河北新報の記事」になっていた。

昭和3年に、この大部な和英辞典を買い求めた読者は、

それ以上の熱意、数だったのか。

(著者大村喜吉は16歳のとき斎藤の伝記を書く決心をし、

  28年後にその夢を実現。1961年毎日出版文化賞受賞)

本来僕が入手できるはずもない稀覯本だ。

Amazonで調べると、一番安いもので23,296円。

保存のよい古書には、250,000円の値が付いている。

勉強のためでなく、投機の対象だ。アホらしい。

夜な夜な探すともなく検索していたら、

3,000円で一冊出ている(送料はいずれも257円)。

保有する古書店が他サイトにも出品しているので

「売り切れ御免」の一冊だ。

これもなにかの縁なのだろう。

この価格なら僕の財布でも

少し無理すれば買えないことはない。

僕が手元に置いていつでも読めるのは

この機会を逃せば、きっと二度とはやってこないだろう。

この予感はきっと当たってしまうだろうと確信した。

斎藤の狂気と知性の4,640頁がいま僕の目の前にある。

斎藤はさらに「斎藤英和大辞典」をHの項目まで書き続け、

未完のまま翌1929年11月9日逝去。

享年63歳。

凄い仕事をした日本人がいる。

wikipedia: 斎藤秀三郎

  (O.E.Dも狂気と知性がなければ誕生しなかった英語辞書。

   連読で読みたい一冊)

(文中敬称略)






http://d.hatena.ne.jp/yukionakayama/20161210/1481373931






















by mantaiya | 2018-06-03 08:07 | | Comments(0)