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池田 俊二先生のお考へ

西尾 先生


池田 俊二 拜


御多用のところ、理路整然たるお答を賜り、忝く存じます。御執筆の妨碍をしたことは申し譯なく、謹んでお詫び申し上げます。


①「現代かなづかいは仮名遣いに非ず」、「仮名遣いの原理はない」との卓見に敬意を表します。この二點をお認めになつてゐるのなら、私の異論は枝葉末節の問題で、大したことはないのかもしれません。


② 橋本進吉には、私も高1の時かなり親しみました。國語の教師が橋本進吉の教へ子で、師を尊敬してゐたらしく、頻りに、進吉先生のことを話してくれました。橋本博士の「表記は音に隨ふべからず、語に隨ふべし」との説は、多分その際教はつたのだと思ひます。

博士はしかし、言語の本質は文字でなく、音にあるのだから、それが變化すれば、表記(假名遣ひ)に影響することは否めず、仰せのとほり、「仮名遣いは乱れが宿命」と考へたかもしれません。けれども、それを放置しておけば落ち着くとは言はなかつた筈です。音と表記のずれを抱へながら、なんとか、それを調和させるために、先人が苦心と工夫を重ねたことを、橋本博士はかなり評價してゐたのではないでせうか。


③ 契冲假名遣ひは固より完璧ではありませんが、いかにもよくできてゐます。いきなり奈良朝に戻るなどといふものではありません(この點を先生は少し誤解されてゐるのではないでせうか)。基礎を奈良朝に置いてゐるだけで、その後の音韻變化にはかなり柔軟に對應してきてゐます。その意味では、一種の現代假名遣ひであるとも言へます。たとへば、音便。「向フ」の連用形は「向ヒ」。但し「ヒ」は「ウ」とも發音するやうになりました、「向ウの山」「向ウて」の如く。その場合、語としては「ヒ」だが、ここは音の顏も立てて、便宜 「ウ」と書くことにしよう。それが音便です 。 「語」に隨ふと言つても、「音」を完全に無視したり、簡單に切

り捨てたりしてゐません。つまり音の變化に對應しつつ、語としての一貫性を保たうとしたーーこれが契冲假名遣ひであり、かかる規範を學校教育に取入れた明治政府の英斷を私は高く評價してゐます。


④ 勿論そこには、西洋先進國への對抗心・みえもあつたことでせう。日本語の表記にもこのやうな規範ありといふ・・・。みえであるにしても、西洋語よりも立派な規範なのですから、その採用に遠慮はいりません。國語に於ける音と表記のずれは、西洋語に於けるそれよりも遙かに少く、しかも、ほとんどは規則的。英語のvictualを、ヴィトルと讀む(c,uaは音にならない)やうな、悲慘・滑稽な例は我等の歴史的假名遣ひにはありません。言語の變化に注意を拂ひ、時に妥協しつつも、根本の規範を崩してはならじといふ、先人の意識の高さと健鬪があつたからこそで、我々はそれを誇りにしていいと思ひます。

日本でいへば、「現代仮名遣い」論者に當るバーナード・ショーは、常に英語の綴字の不合理を攻撃しましたが、ghoti をなんと讀むか。それはフィッシュ(fish)と讀めるとジョークを言ひました。enough,women,station のアンダーライン部分(gh,o,ti)の音を合せるとさうなるーーといふのです。では、その不合理を克服するために、enouf,wimen,stashonにすればいいか。さうはゆきません。語としての一貫性が失はれるからです。

音と表記との規則的・合理的なずれを、「音韻にもとづいて」といふ譯の分らない理由で放逐してしまつた日本國民(?)と、あの不合理(といふよりも、出鱈目)極まる綴字を頑として變へない英國民と、どちらがどうか。宿命と受け止める英國民を馬鹿呼ばはりする氣にはなりません。



戰後の「「現代仮名遣い」が、GHQによる日本撲滅、國語破壞政策の一環であることは當然ですが、その中身については、「仮名遣いに非ず」と正當に斷裁されてゐる先生に申上げるべきことはありません。

以上、不得要領なことを竝べ立て、申し譯ありません。先生に、太安萬侶の交用音訓を教はつたのは、つい最近で、自分が歴史的假名遣ひに改宗して45年めのことですが、先人の苦心と健鬪にあれほど、血の滾る思ひをしたのは初めてでした。

御健勝を祈り上げます。



西尾幹二のインターネット日録


https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2627#comment-6510







by mantaiya | 2021-08-22 09:21 | その他 | Comments(0)


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