家族との会話や意思疎通もままならなくなるお子さんもたくさん見てきました。
ちなみにセミリンガル/ダブル・リミテッドは「中途半端な二ヵ国語使用者」という意味です。2018年1月16日 火曜日◆日本育ちの子をインターナショナルスクールに入れるのは愚の骨頂だ 1月16日 西宮凛日本で日本人の家庭に生まれながら、インターナショナルスクールに入れる。それは経済的にも余裕があり、「子どもにインターナショナルな感覚を持たせたい」という思いを抱く家庭ならではのことでしょう。しかし自らが海外で育った帰国子女でもあり、同時通訳者として働きながらアメリカの大学院で英語教授法の資格を取得し、多くの「早期英語教育を求める保護者」と「大人になってからきちんとした英語を学ぼうとしてきちんと身につけた大人」を見てきた私は、声を大にしていいたいのです。「日本に生まれ育ちながらバイリンガルに育てたいのなら、絶対にインターナショナルスクールには入れないほうがいい」と。母国語で考えることが最重要日本人が算数が良くできる理由の一つを紹介しましょう。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10を3秒以内に、数字をきちんと耳で誰もが認識できる速さでだーーーーっといえることです。では、英語で同じように、1~10まで言ってみてください。One, two, three, four, ……日本語に比べてなんと時間がかかることでしょう。これは、英語の教育ではone, two, three, … をスぺリングから数字に入ってしまうからなのです。この速さが、算数の四則計算に始まり、基礎力から応用力への発展への理解力スピードにも関係していきます。日本語での教育に素晴らしいところが十分あると理解していただけたらと思います。では、言語習得能力についてのことを説明していきましょう。
一番大切なのは「絵本の読み聞かせ」日本では、7歳から基本的に読み書きの習得、識字教育が始まります。この7歳までに子どもにたくさんの本を読ませるということがとても大切だと私は思っています(理想的には10000冊という説もありますが、繰り返し読むことも含めてできる限りでいいと思います)。0歳からスタートして、お母さんやお父さん、周りの人たちが毎日子どもに読み聞かせをすることで、耳から、目から、自然に子どもが言葉に触れるので、言葉に対する感性が身につきます。そうして生まれたころから「文字」に目と耳で触れてきた子どもは、おそらく、文字を書く道具が周りにあれば3歳くらいから、ひらがなをしっかり目で追い、自分でも書きたがるようになります。
それまで耳と目だけで入ってきた言葉が、文字で立体的に繋がっていきます。就学年齢になる7歳から学校に入り、ひらがなの正しい書き方を学び、国語を体系的に学ぶことで、一気に子どもの知的好奇心は深まります。それまで受け身だった読み聞かせから、文字と言葉に対する理解が深まることで、その先にある楽しさに能動的に取り組むようになります。本を読むこと、文字を書くこと、そして起承転結を捉えること、日本語の文章に「はじめ・中・終わり」というまとまりがあることを理解し、自分の思いを正確かつ適切に伝える行動を段階的にできるようになっていきます。文章のまとまりを読み取ることができると、国語のみならず算数、社会、理科などの他の科目も、また具体物に対する理解もどんどん深まります。このようなやり方を7歳から10歳までに深めておくと、10歳くらいで手に触れることのできない抽象物への理解ができるようになるのです。ちなみに、目に見えないもの、人の感情や目の前で起きていない事象を深く理解でき始めるのは10歳以降と言われています。言語獲得で特に大切なのはこの幼少期から思春期までの限られた時期であり、「言語習得の臨界期」に言語に触れることが一番の近道とする仮説は、1967年に研究者レネバーグが打ち出しました。その後も様々な研究が続けられています。無理なインターは「セミリンガル」になる近年「英語獲得は早い方がいい」という学校現場での取り組みも熱を帯び、また「だから小学校からインターナショナルスクールに入れれば、英語のネイティブになるでしょう」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。でも日本に住み、日本の家族と暮らしている場合、最初に母国語(L1言語と言います)ができなければ、第二カ国語(L2言語)をマスターし、両方の言語を自由に操作出来る「バイリンガル」にはなりません。英語をある程度話せるようにはなりますが、日本人として使えるべき日本語が不自由になってしまいます。また、近年外国人が日本にも増えてきたとはいえ、日本で学ぶ英語はどうしても「外国語」であり、「第二ヵ国語」ではないことにも注意をしたいものです。1 本を通して就学年齢に到達する7歳までにできるだけ多くの母国語に親しませる2 就学年齢である7歳から10歳までに正しい母国語を学び、具体物の理解を進める3 10歳から抽象物の理解を深めていくことができるように、日本語の文章構造の理解を深めるこの3つを受けて初めて、母国語を駆使して物事を理解し、他の言語システムを理解し、他文化、多様性の理解をでき、グローバルに活躍できる人材になる一歩を踏み出せるのです。「これからの時代は英語が出来たほうがいい」とか「大人になった時に困らないように」という理由だけで、日本で生まれ育ったお子さんをインターナショナルスクールに入れている場合ではありません。
私の尊敬する同時通訳者の諸先輩方も、インターナショナルスクールに
いきなり通わせる前に大切なのは、母国語である日本語の習得、と口を揃えておっしゃっていました。それくらい本末転倒なことなのです。例えば、両親共に海外育ちであるとか、赴任帯同によりお子さんが海外の英語環境で育った等のバックグラウンドがある等の場合には、英語がそのお子さんの核となる言語になっているのでその方がお子さんにとっても幸せだと思います。ただそのような場合にもご家庭で日本語力の維持、特に漢字を読ませることにはみなさん努力していらっしゃるはずです。バックグラウンドなしでインターナショナルスクールに入れるのであれば、セミリンガル/ダブル・リミテッドまっしぐらです。家族との会話や意思疎通もままならなくなるお子さんもたくさん見てきました。ちなみに
セミリンガル/ダブル・リミテッドは「両方の言語において年齢に応じた言語習得度に満たない中途半端な二ヵ国語使用者」という意味です。もちろん中には、2つの言語を同時期に習得し、二か国語を母語とする話者や「バイリンガル脳」を持つ方もいて、その研究も行われています。しかし一般的に日本で日本人の家庭に生まれたお子さんについては、母国語を習得し、母国語で論理的に考える力があるからこそ、バイリンガル、トライリンガルになる下地が出来ると考えます。母国語を習得し、母国語で論理的に考える力があるからこそ、バイリンガル、トライリンガルになれるのです。(後略)
(私のコメント)「株式日記」では、日本の英語教育について批判をしてきましたが、子供の時からのバイリンガル教育は非常に危険だ。小学生くらいの時に本格的英語教育をしてしまうと、それだけ日本語教育がスポイルされるから、小学生の頭が混乱して日本語も英語も中途半端になり、どちらで考えるべきか混乱してしまうのだ。だから英語教育は中学生から初めて選択科目にして受験科目から外すことだ。そうしないとますます英語嫌いがひどくなってしまう。語学は集中的に学ぶべきであり、専門学校のようなところでやるべきであり、だらだらと10年間も英語教育をしても上手く行くはずがない。「株式日記」では、英語教育よりもAIによる翻訳機能の発達で、一般人レベルならスマホに同時通訳させたほうがいいのではないかと書いてきました。英単語を一つ一つ覚えるのは大変な作業であり、それよりも仕事を通じて必要性に迫られて学んだほうが身につくようだ。バイリンガル教育は、語学的才能がある人にはできても、誰もができることではない。無理にバイリンガル教育をしてセミリンガルにしてしまう。麻生元総理にしても長期の海外留学で英語が話せるようになったが、漢字が読めなくなってしまった。漢字は非常に複雑で私もパソコンで日本語を書いていると漢字を忘れてしまうほどだ。読めるけれど書けなくなってしまう。日本語の作文にしても、学校で習いますが何を言っているのかわからないような文章を書く生徒がたくさんいます。日本語ですらそうなのだから、英作文など出来る訳がない。それよりも日本語の作文を徹底的にマスターして、機械翻訳された文章を読みやすい日本語に直すような作業が必要になる。英語の発音に関しては、日本人だけではなく英語を母国語とする人でない限り完璧にできる人はいない。アメリカ人にしてもイギリス人にしても話す英語の訛りによってどこの出身かわかってしまう。だから国際英語と割り切って、ジャパングリッシュと割り切ったほうがいい。
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英語の勉強は決して否定しないが、中學校からで十分ではないでせうか。それも英會話中心よりも讀解力を附けることです。江戸時代の侍が英米相手に植民地にもならずに對等に交渉出來たのは優秀な日本人が多かつた事と彼等は中國語會話は全く出來なくても四書五經と云ふ中國の最高レベルに高度な思想を讀み下し文で中國人以上に理解したからではないでせうか。日本人も歐米のトップレベルの學術書が理解出來る學生を育てるべきで日本の子供達に小學校から英會話を強要するべきではない。米國の植民地政策に取り込まれるだけだと考へます。
政府も文部科學省の役人もわが子の教育は守つてくれない。米國の言ひなりです。
テレビのCMも電車の中の廣告も英會話をすることがカッコいいと云ふ(米國のプロパガンダの洗腦による)宣傳ばかりで日本語の美しさを認めてゐない。日本人が日本語を愛さなくなつたら終はりではないだらうか。我が子は兩親が正しい情報を手に入れて守るしかないのです。

↑日本語がまつたく話せないカズオ・イシグロ氏
顏は黄色人種の東洋人だが、英語しかしやべれない、書けない。
將來の日本人も彼のやうになると思ふと胸が痛む。
哀れと云ふか、氣の毒と云ふしかない
彼の祖國つていつたいどこの國なんだらうか?
イギリス人か?
俺はこんな顏をしたイギリス人にはなりたくない。
彼が中國語を話せば中國人だと思ふし、
韓國語ならば韓國人、
日本語ならば日本人だと區別が附くが
英語しか喋れないのならば
どこの國の人かは判斷出來ない。
それほど母國語は祖國を判斷する基準となる
大切な要素なので
安易に幼少期に米國の言語を學ぶことは
拒否すべきなのだ。